Rainy days and Mondays

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  映画感想2

映画「告白」を見て

命は重いですか?軽いですか?
その問いに対しては答えがあって、
「愛するものの命は重い、
それ以外の人は軽い」ということでしょう。
遠い戦地で死んだ子供のことは「かわいそう」と同情するくらいだし
悲惨な殺人事件を聞かされたところでワイドショー的に興味をもつぐらい。
程度は違えど誰にでもあてはまる答えなんじゃないかな?


「あの子の命は僕にとっては軽いけど、あの子の母親にとっては重い」ってことを
考えない中学生の短絡的な行動に素直に腹がたつし、愛する我が子を奪われたとい
う理由で
少年Aの母親結果的に殺すこととなった森口元担任の残酷さにも鳥肌が立った。
目には目を、ですね。
復讐劇としてはこれ以上ない素晴らしい幕引きとなったと思います。

でもなぁ、なんかテーマ的にほんと人の死とか復讐とかって、救いがないよなぁ。
なのにどうして我々はそういうテーマを見に喜んで劇場に向かうんでしょう?
生死について考えたいから?
でも「死」を考えること自体無駄な気もするし。

よく少年犯罪映画のレビューとかで「警鐘を鳴らす」とかって書いてあるけど
一般人の私たちが見てレビューを書いても警鐘は鳴らないんだよね。
これだけ警鐘を鳴らしえる母体は増えているのに凶悪犯罪はなくならないし、
情報社会も進んでいくだけ。
もう一歩、なんかわからないけど、もう一歩踏み込んだところまで
映画が一般的にメジャー化すればいいんだろうけど、映画ファンが見て「うー
む」と
うなるだけではいけない。と思う。
その意味で「バトルロワイアル」とか画期的だったのかも。
(だからって何がかわったというわけではないけど。あれは警鐘とは違うから)

「告白」もその意味では少年法、ひいては刑法そのものに救いを求められない
一人の人間の復讐劇であり、警鐘を鳴らしえる作品ではあったと思うのですが
テーマ以前に映像の美しさが鳥肌ものでした。
一貫して薄暗い、日の当たらない家の中のような映像が続き、この映画の暗い結末
を示唆するようで。
ある細かい描写で見ているほうが「ドキ」っとしたり。
丁寧に作られているなぁと感じた。

私がなんとなく恐怖を覚えたのは、木村佳乃扮するモンスターマザーが、
「あの子を殺して私も・・・」という日記を書き子供の部屋に行こうとするのだけ
ど、
「あ」と気づいて、「・・・天国に旅立ちます」と締めの文章をわざわざ綺麗な文
字で書いて
再度部屋に向かう。という描写。

我が子を殺すとき、こんな冷静な自分が顔を出すものなんだろうか?
殺人がこれから行われるという恐怖の中の静かな風景に、鳥肌が立った。怖かっ
た。
この描写、なくても良かったのかもしれないけど中島監督的には入れなきゃいけな
かったんだろうなぁ。
いつでもどこでも、冷静、情熱が混在していて、両方淡々と描かれていて、言い知
れぬ恐怖があった。
同様、見せ方の手法としても早回しとストップモーションが混在していて、こちら
も独特な恐怖感を引き出された。

色の見せ方がうまい中島監督だからこそ、陰影を強調した収支暗い映像の見せ方に
も成功したのだと思う。天晴れ!☆

映画のストーリー的には、「天晴れ☆」ではなかったよん。






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  映画感想

パルチザン前史を受けて

「学生運動」について、ほとんどの若者(私も含めて)はそれが何者か知らず、
AKB48とかと同じような単なる歴史上の「流行」に過ぎない、と感じていると思う。

学費値上げだとか、法人対個人の問題から
マルクスレーニンを読みまくった若者がわけも分からず戦後日本の資本主義への対
抗へとすりかえた時代。
内ゲバが起こり始めて違和感を感じた若者が事態を収束させていく。
ほんとに「流行」に過ぎなかったんじゃないかと思う。

単なるストレスの発散じゃないのか?
大人の真似事をしているだけじゃないのか?
マルクスだ毛沢東だ偉大な共産主義者にあやかって、自らのエネルギーを消費し、
ただ会社員になって終身雇用で働くことの絶望に抗おうとした空白の時代。

失礼な見方をしてしまっているが、と同時に私たちは彼らに対して少なからず「羨
望」の目をもっている。
それは闘争の時代が生んだ文化によるものかもしれないが、それだけではないよう
な気もしている。

私たちの住む情報化社会では、「善」と「悪」の区別がつかない。
検索サイトで検索すれば様々な人々の意見を様々なサイトで確認することが出来る

「どうして人を殺してはならないのか」という疑問にももはや答えることはできな
い。
意見交換はネット上でできるし、情報は飽和して「メリットデメリットどちらもあ
るよね」という、
同じ社会内で起こっている出来事でもどこか冷めた目で見てしまい、自らの意見を
判断できかねる状況が多い。

闘争の時代にそれはなかった。
共産主義にしようなんて本当に思った学生がいるのかわからない。
でも誰かが言い出して、誰かの意見に誰かが納得して、なんとなく闘争に巻き込ま
れていったあの時代は
「ダレダレがこう言ったのだからこうに違いない」という、自分の意思にはなんら
関係の無い、妙な自意識がうまれている。
それが長い歴史で見て間違いだったとしても。・・・なんだかスポーツの部活みた
いだ。
その証拠に、パルチザン前史に映っていた学生は、一部は本気で世の中のことを考
え、
その他ほとんどは自分がなんのために危険をおかして火炎瓶を投げるのか、わかっ
てすらいない学生であった。
「みんな会社員として働いて、結婚しようかどうしようか・・・みたいな話をして
いるけれど、僕はそんなのできないし、
こうなってしまった以上、その道を貫くしかない」と言っている学生がいたけれど
も、
それって、結局のところただのモラトリアムだったんじゃないの?と思うし、彼も
誰かに言われてやって、
それが「善」である、警察や政府は「悪」である、と納得することが出来たから
やっていたんだと思う。
共産主義というどでかいテーマなんか頭の中に無いから、自らのモラトリアムにす
りかえていただけなのだと思う。
このドキュメンタリー映画からは少なくともそれを感じた。
ドラム缶に向かって襲撃練習をするパルチザン5人組のメンバー達。
ただ走り、ただドラム缶を蹴る。
先輩に言われたからやっている新入部員のように。

でも私は少なくともそれを単純に羨ましいと思った。
個々で繋がり確実な「悪」に向かい闘争を続けるさま。
夜中に集まり、ああでもないこうでもないと、「闘争」のあるべき姿を語り合う若
者。
携帯電話の回線でしか繋がれない(こういう言い方はとても嫌らしいけれども)現
代の若者には
絶対に出来ない手法で、結託した闘争の時代。
まぁ単純に、「楽しかっただろうなぁ」なんて思ってしまったのだ。
どこに向かうかわからなかったとしても。
ひとつの、青春劇として。

パルチザン前史は、この輝かしくも悲しい闘争の時代を
拍手も、皮肉もなく、ただ淡々と描いていたところに好感をもてた。
自らの意思を徹底的に排除し、大学を卒業したそのあと、子供ができても
共産主義に傾倒し、若者に巧みな話術で教え込ませようとした予備校教員。
モラトリアムを卒業したはずの歳でもまだ革命を訴え、仲間とうどんをすする姿
に、
なんだか切なさがこみ上げてきたのだった。























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